フォト
無料ブログはココログ

« BBQ | トップページ | 彼岸花 »

2016年9月13日 (火)

もろたバイ!

 Photo 先月末に植えた”紫式部”が、「そろそろ色づいたのではないかなあ?」と、庭の花壇をのぞくと、きれいな濃い紫色になっていました。「んっ?何かが違う。」と思いつつ、実家の仏間に行き、仏壇の花を活け替え用とした時に「えっ?」しおれかかったトルコキキョウと一緒に、式部が二枝ずつ挿してありました。背後から義母が「ごめん。ちょっと、もろたバイ(もらったよ)」とすまなそうに言いました。花が大好きで、花をたくさん栽培している義母が、私の植えた紫式部を気に入って、大切なご先祖様に供えてくれたことをとてもうれしく思いました(◎´∀`)ノ

Dscn6458_2
 今日は日本生まれの「のぞみ」というバラです。いつものように名前の由来を調べて、とても感動しましたので、ちょっと長くなりますが、この、バラを作った小野寺透博士の手記をそのまま記載します。

《バラになった少女》  小野寺透  

私と仲の良かった妹が、牧師と結婚して教会の事業にたずさわること半年で、その牧師は知る人ぞ知る南方の激戦地ガダルカナルへ出征した。その時生まれてくる子供に”のぞみ”と名づけて行った。
 彼は周囲の兵隊たちと同じく殆ど死んだと同様に倒れていた。その時耳元でアメリカ兵がガヤガヤ話していた。やがて彼は、そのアメリカ兵達の話にアメリカ英語で返事をしてしまった。それは彼が牧師に必要な神学の勉強に、数年間アメリカ留学していたからであった。
 彼の返事を聞いて驚いたのはアメリカ兵であったが、それが縁で彼は通訳の仕事を受け持ち、結局無事帰国することになった。出征時に名付けた”のぞみ”は女の子であって、父親の実家があった満州に渡った。渡った当時(昭和18年頃)の満州は平和であったが、終戦後、例のソ連軍の侵入で、女ばかりの一家の生活は苦しくなり、先ず祖母が亡くなり、次いで母も亡くなり次々に家族が死亡し、”のぞみ”は一人ぼっちになって、近隣の教会関係の人々に助けられ暮らしていた。
 やがて帰国の順番が来て、三歳の”のぞみ”は一人で帰国列車に乗り、はるばる長い汽車の旅を続けて、日本に着き、やっと明日は東京に着く予定が列車の編成の都合で一日延びた。この延びた一日が幼い女の子に限りない悲劇となったのである。それは、この延びた日の東京品川に着く二時間前に、長旅の疲れか”のぞみ”は列車の中で息を引きとってしまったのである。
 一方父親は品川駅に、生まれてはじめてのわが子を迎えに行って、未だ温もりの残っている我が子”のぞみ”を抱いたのである。この様にして父親は”のぞみ”の持ってきた二つの遺骨箱と一緒に浦和の家に帰ってきて、狭い我が家は一度に三つの葬式をすることになった。
 話をバラに移して、私は1968年(昭和43年)頃から実生花を作り始め、最初の作出花に私は忘れ得ぬ、”のぞみ”という名前をつけた。バラの”のぞみ”は浦和では六月の第二週頃に一週間くらい桜草のような花で盛大に咲くが、ヨーロッパの気候では六月から十一月まで咲き続けるので、世界中のバラ花壇に植えられて有名になり、バラを記事にした世界中の本にも載っているし、有名なプロフェショナルのバラ作りの集会に、アマチュアの私が唯一人招かれたりしている。
”のぞみ”が埼玉の浦和生まれであることを思うと、無常の感慨に打たれるのである。

« BBQ | トップページ | 彼岸花 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: もろたバイ!:

« BBQ | トップページ | 彼岸花 »